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「普天間」争点 一騎打ちへ 宜野湾市長選挙
「普天間」争点 一騎打ちへ 宜野湾市長選挙
2010年9月26日


伊波洋一市長の県知事選出馬に伴い予定される宜野湾市長選挙で、伊波市政の継承を掲げる前副市長の安里猛氏(58)と、伊波市政に批判的な前衆議院議員の安次富修氏(54)が立候補を表明した。ほかに有力候補が名乗りを上げる動きはなく、一騎打ちになる見通しだ。菅直人首相が米軍普天間飛行場を名護市辺野古に移設する日米合意推進を表明する中、同日選が濃厚な11月28日の県知事選とあわせ、移設問題を左右する重要な選挙になる。(中部支社・鈴木実)

 12日の名護市議選では、移設反対を掲げる稲嶺進市長の支持派が過半数を占めた。宜野湾市長選に一足早く出馬表明した安里氏も県内移設反対を打ち出しており、知事選とセットで勝利することで、“県民の総意”として日米両政府に県内移設断念を迫る考えだ。

 一方、野党側の基本政策はまだ明らかになっていないが、普天間問題への対応や経済振興が大きな争点になるのは間違いない。普天間飛行場の移設について安次富氏は、公約ではなく個人的見解と断った上で、「県外・国外移設がベストであると考えている」と説明。ただ、名護市に受け入れ要請をしていた衆院議員時代の立場との整合性を問われると、「民意によって変わった」と述べ、今後の対応についても「(県民の)民意が変われば別」と含みを持たせた。

 安里氏は社民、社大、共産の3党が、安次富氏は自民、公明の2党が事実上後押しする構図で、両陣営にとっては対応を明らかにしていない民主党の動向が焦点の一つになる。

 12日の市議選で民主党公認候補として当選した玉元一恵氏は与党的立場で、安里氏支援を明言している。ただ、菅首相の続投を受け、民主党県連が県内移設反対派の安里氏に推薦を出すことはさらに難しくなった事情があり、玉元氏個人の応援にとどまることもありそうだ。安次富氏側は民主党からの選挙協力に期待を示しており、民主票や連合沖縄など支持労組の票が勝敗の鍵を握る可能性がある。


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【揺らぐ沖縄】児童の安全より反対運動優先か 基地隣接の小学校移転
2010.1.9

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)に隣接し、ヘリ墜落など事故の危険にさらされてきた同市立普天間第二小学校(児童数708人)で、これまで2回、移転計画が持ち上がったが、基地反対運動を展開する市民団体などの抵抗で頓挫していたことが9日、当時の市関係者や地元住民への取材で分かった。市民団体などは反基地運動を展開するため、小学生を盾にしていたとの指摘もあり、反対運動のあり方が問われそうだ。(宮本雅史)

 普天間第二小は、昭和44年に普天間小から分離。南側グラウンドが同飛行場とフェンス越しに接しているため、基地の危険性の象徴的存在といわれてきた。

 移転計画が持ち上がったのは昭和57年ごろ。同小から約200メートル離れた基地内で米軍ヘリが不時着、炎上したのがきっかけだった。

 当時、宜野湾市長だった安次富(あしとみ)盛信さん(79)によると、それまでも爆音被害に悩まされていたが、炎上事故を受け、小学校に米軍機が墜落しかねないとの不安が広がり、移転を望む声が地域の人たちから沸き上がったという。

 安次富さんらは移転先を探したが確保できなかったため米軍と交渉。約1キロ離れた米軍家族用の軍用地のうち8千坪を校舎用に日本に返還することで合意。防衛施設庁とも協議して移設予算も確保した。

ところが、市民団体などから「移転は基地の固定化につながる」などと抗議が殺到した。安次富さんは「爆音公害から少しでも遠ざけ危険性も除去したい」と説明したが、市民団体などは「命をはってでも反対する」と抵抗したため、計画は頓挫したという。

 同市関係者は「市民団体などは基地反対運動をするために小学校を盾にし、子供たちを人質にした」と説明している。

 その後、昭和63年から平成元年にかけ、校舎の老朽化で天井などのコンクリート片が落下して児童に当たる危険性が出たため、基地から離れた場所に学校を移転させる意見が住民から再び持ち上がった。だが、やはり市民団体などに「移転せずに現在の場所で改築すべきだ」と反対され、移転構想はストップした。

 当時市議だった安次富修前衆院議員(53)は「反対派は基地の危険性を訴えていたのだから真っ先に移転を考えるべきだったが、基地と隣り合わせでもいいということだった」と話す。別の市関係者も「多くの市民は基地の危険性除去のために真剣に基地移設を訴えたが、基地反対派の一部には、米軍の存在意義や県民の思いを無視し、普天間飛行場と子供たちを反米のイデオロギー闘争に利用している可能性も否定できない」と指摘している。

【揺らぐ沖縄】児童の安全より反対運動優先か 基地隣接の小学校移転 (1/2ページ)

【揺らぐ沖縄】児童の安全より反対運動優先か 基地隣接の小学校移転 (2/2ページ)


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