気になる事を保存しておく 私の引き出し。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Posted by おきっここ
 
[スポンサー広告
李登輝・元台湾総統が語る―台湾が感動した安倍総理の「大切な日本の友人」発言

じつに私は十数年にわたり、日本が経済的苦境を脱するためには、インフレ目標を設定するなど大胆な金融政策を採用すべきこと、また同時に大規模な財政出動を実施することで経済を強化することの必要性を建議してきた。まさにいま「アベノミクス」と呼ばれる一連の政策によって、これらが実現しようとしている。私が安倍総理のリーダーシップに注目する理由である。

 これまで日本の指導者は隣国の中国や韓国、あるいはアメリカからの批判を恐れて、円安政策に踏み切れないでいた。日銀も「事なかれ主義」に陥っていたのである。こうした日本の状況を指して、私は2003年2月に発売された『論争・デフレを超える』(中公新書ラクレ)に収められた論文のなかで、次のように指摘した。

 「デフレはたんに経済的な問題ではなく、日本の政治指導力の問題だ。日本は米国依存と中国への精神的隷属から抜け出さなければ、いまの苦境を脱することはできない。国際社会における日本の経済的自立、精神的な自立こそがデフレ脱却の大きな鍵だ」

 一国の経済の舵取りには、強いリーダーシップが不可欠だが、安倍総理にはそれがあるようだ。また現在、安倍総理は金融政策だけでなく、大胆な国内投資の実行も掲げている。これまで日本では「国債の発行残高が高すぎる」「もうお金がないから」という理由で、大型の公共事業に対して批判的な声が強かった。しかし、安倍自民党は10年間に200兆円といわれる「国土強靭化計画」を実施しようとしているという。

もともと台湾は、非常な親日国である。東日本大震災に対する台湾から日本への義援金は200億円を超え、世界一となった。私も東日本大震災の報に接したときは、刃物で切り裂かれるような心の痛みを感じ、「自然の猛威を前にしてけっして運命だとあきらめず、元気と自信、勇気を奮い起こしてほしい」との励ましのメッセージを送った。台湾人は日本のことをなぜこうも大切に思うのか。

 今年3月13日、東北の大学生30人余りが東日本大震災時の日本支援に対して台湾に感謝を述べに来た。その学生たちを前に、私は次のような話をした。

 「日本は半世紀にわたって台湾を統治しました。この間、もっとも大きな変化は台湾が伝統的な農業社会から近代社会に進化させられたことです。日本は台湾に近代工業資本主義の経営観念を導入したのです。また新しい教育制度が導入され、近代的な国民意識が培われました。やがて台湾人は自らの地位が日本人に比べて低いことに気付きます。ここに『台湾意識』が芽生えました。『台湾人の台湾』という考えが生まれ、これが国民党に対抗する力となったのです」

 台湾には「犬が去って、豚が来た」という言い方がある。犬は戦前に台湾を統治していた日本人、豚は大陸から来た中国人を意味する。渋谷に忠犬ハチ公の銅像があるだろう。犬は吠えてうるさいが番犬として役に立つ。これに対し、豚は食い散らかすだけで何もしない。大陸から来た中国人に比べれば、日本人のほうがはるかにましだったという、台湾人の考えを表した言い方である。

 また、台湾人が好んで用いる言葉に「日本精神(リップンチェンシン)」というものがある。これは日本統治時代に台湾人が学び、ある意味で純粋培養されたもので、「勇気」「誠実」「勤勉」「奉公」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった精神を指す言葉である。じつはこの言葉が台湾に広まったのは戦後のことで、当初は大陸から来た国民党の指導者が自分たちには持ち合わせていないものとして、台湾人の気質を示したものだ。台湾に浸透したこういう「日本精神」があったからこそ、戦後の中国文化に台湾は完全に呑み込まれることはなかったといえるし、現在の近代社会が確立されたともいえる。

日本との関係を思うとき、私にはいまだに了解できないことがある。このことについて少し述べたい。

 99年9月21日、台湾大地震が起こったのは台湾総統の任期があと8カ月で終わるときであった。各国から救助隊がやってきたが、真っ先に駆けつけてくれたのが日本であった。人数も多かった。またありがたいことに小池百合子代議士は、仮設住宅の提供を申し出てくれた。さらに、当時曽野綾子氏が会長を務めていた日本財団は3億円を寄付してくれた。授与式には曽野氏がわざわざ訪台され、私と会見した。その際に私は曽野氏に対して、もし将来日本で何か起こったら、真っ先に駆けつけるのは台湾の救助隊であると約束した。

 しかし、先の東日本大震災ではその約束が果たせなかった。震災発生直後、日本の対台湾窓口である交流協会を通じてすぐに救助隊の派遣を申し出たのだが、なかなか話がまとまらない。時間を無駄にはしたくないと考えたわれわれは、やむなく山梨県甲府市のNPO(非営利団体)と話をつけて、救助隊を自力で被災地に向かわせることにした。

 台湾からの救助隊の第一陣が成田空港に到着したのは3月13日。すでに中国や韓国の救助隊は到着していた。さらに日本に到着してからも、「台湾の救助隊を迎え入れる準備ができない」と外務省にいわれてしまう始末であった。

 なぜ、当時の日本政府は台湾の救助隊を受け入れることを躊躇したのか。「台湾は中国の一部」とする中国共産党の意向を気にしたとされる。日本の台湾に対する気持ちはその程度のものだったのかと残念に思った。日本に何かあれば、台湾の救助隊がいちばんに駆けつけるという曽野氏との約束を果たせなかったことは、私にとって生涯の痛恨事である。

 また2001年、持病の心臓病の治療のために訪日しようとした際、私を入国させることで中国を怒らせることを恐れた当時の外相や外務省の反対で、なかなかビザが下りないということもあった。「義を見てせざるは勇なきなり」という武士道の精神を表す言葉がある。武士道は日本人にとって最高の道徳のはずである。このとき私は、日本という国がほんとうにおかしくなっていると感じた。

 震災直後、時の首相であった菅直人氏はヘリコプターに乗り、上空から被災地を見て回ったものの、それだけで終わってしまったという。本来であれば菅元総理は、自衛隊の幕僚長と内閣の官房長官を従え、ヘリコプターから降りて被災地を一つ一つ見回り、被災者を慰問し、地方自治体の指導者から救済措置と財政負担を聞き取ることが必要であった。国民が苦しんでいるのに、菅元総理はどのような顔をしてヘリコプターに乗っていたのか。彼はしょせん民主党の指導者であって、国家の指導者たる資格はなかったのである。

台湾が感動した安倍総理の友人発言

 これまで日本政府は中国の意向を気にして、台湾への配慮を怠ることが多かったが、こうした流れを一気に変えたのが安倍総理である。日本政府が今年3月11日に主催した東日本大震災2周年追悼式。そこには各国の外交使節と同様に、指名献花する台湾代表の姿があった。多額の義援金を寄付したにもかかわらず、昨年の追悼式で台湾を指名献花から外した非礼に関しては、日本国内でも多くの批判があったと聞く。今年の追悼式で安倍総理はそれを是正したことになる。

 また安倍総理は、交流サイト「フェイスブック」上で台湾の支援に言及し、「大切な日本の友人」と表現した。これには多くの台湾人が感動した。安倍総理は、歴代の日本の政治指導者がみせた“中国さまさま”の意識にとらわれることなく、激変する国際社会への対応を学んでいるようにみえる。

 憲法改正や集団的自衛権の行使、国家安全保障会議の設置など、戦後日本の積年の課題に手を付けようとすれば、まず7月の参院選に自民党が勝つことが前提となる。そのうえで安定政権をつくることが重要だ。そのために安倍総理は、自民党の古参議員や若手、新人議員、また野党やマスメディアに対して、辞を低くして、自分のめざすところを説明していく姿勢が求められる。いま安倍総理には国民の高い支持が寄せられているが、そのことには絶えず感謝の意を表すべきだ。さらに憲法改正ともなれば、いまのうちからアメリカに説明しておくことも必要であろう。

 結局、政治は忍耐である。耐え忍ぶ忍耐力をもたないと、ほんとうの勇気は出てこない。これこそ、政治の指導者が理想とすべき真の武士道精神ではなかろうか。

 ふりつもるみ雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき人もかくあれ

 昭和天皇の御製である。安倍総理もよくご存じだと思う。昭和天皇もまた武士道をよく体現されたお方であった。そうでなければ、あのマッカーサーをたちまち心服させることなどできなかったであろう。この昭和天皇の御製をもって、私から安倍総理へのエールとさせていただきたい。
http://shuchi.php.co.jp/article/1413
http://shuchi.php.co.jp/article/1412


431823_362663767172425_512149732_n.jpg
関連記事
Posted by おきっここ
comment:0   trackback:0
[未分類
comment
comment posting














 

trackback URL
http://okidokidoki.blog118.fc2.com/tb.php/134-430c1b01
trackback
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。