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沖縄のチュチェ思想と反基地運動
産経新聞 2009年6月24日

沖縄のチュチェ思想と反基地運動

【侵食される守り 沖縄米軍基地】 (下)

 北朝鮮のミサイル発射準備で大騒ぎした今年3月、「日本チュチェ(主体)思想研究代表団」
による訪朝報告会が沖縄で行われた。
団長と研究会の全国連絡会長は実は沖縄で反戦平和運動を展開してきた一坪反戦地主だった。
この報告会がどこかで反基地運動と結びついているか、どうかはわからない。が、
いまや沖縄では反戦平和は表だった批判さえ許されなくなっている。

 日本キムイルソン主義研究会が今年4月に発行した雑誌「キムイルソン主義研究」(129号)に
「未来社会をさし示す朝鮮社会主義」と題する座談会が掲載された。

 出席者は2月12日から3月4日まで21日間にわたって訪朝したチュチェ思想研究訪朝団(6人)
団長の高良有政氏と副団長の仲村芳信氏。
さらに司会役には沖縄チュチェ思想研究会員で同全国連絡会会長の佐久川政一氏の姿もあった。

 その報告座談会を読むと、まず佐久川氏が「アメリカや日本は(人工衛星を)ミサイルと決めつけ、
反朝鮮キャンペーンをあおっています。こういう状況の中でチュチェ思想を広め、日朝友好を進めるものです」
とあいさつ、さらに「北朝鮮には失業者はいない。政治と人民が一体となった“理想国家”」
「外国の侵略をはねのける武力が不可欠」(仲村副団長)、
「世界中が不況の中で不況知らずの北朝鮮は100年に1度の奇跡」(高良団長)といった、
かつて共産圏国家でよくみかけられたプロパガンダ(宣伝)が続いた。


◆北朝鮮擁護
 佐久川氏は沖縄における反戦平和、そして反基地運動の中心的人物の一人で、
自身が学長だったこともある沖縄大学公式サイトでは
「憲法を専門としながら沖縄の地に根ざした平和運動を一貫して続けた」と紹介されている。
昭和57年、基地撤去を目指す団体として「一坪反戦地主会」が結成されると即座に参加した。

 一坪反戦地主会は沖縄の反基地運動、さらには反戦平和運動の中核で、結成当時のメンバーには
沖縄世論を動かすマスコミ幹部県幹部職員労組指導者大学教授といったそうそうたる顔ぶれが並んでいる。
その意味で反戦平和は沖縄知識人層を見事に縦断している。
例えば佐久川氏の場合、「普天間基地包囲大行動」実行委員長を平成10年、16年と2度も務め、
1万6千人(主催者発表)の大衆動員を成功させ、
12年の「カデナ(嘉手納)基地包囲行動」でも代表だった。

 では、沖縄の反戦平和が、その対極ともいえる核開発やミサイル実験に力を注ぐ
北朝鮮をなぜ擁護しなければならないのか。この疑問に対して佐久川氏は次のように答えた。

 「それは沖縄問題を考える上で(北朝鮮前国家主席の)金日成のチュチェ思想が非常に
参考になると考えたからです。
『沖縄と日米』『北朝鮮と日米』という類似性に気づくと非常にわかりやすい。
北朝鮮は主体的に植民地支配を脱した。
かつて大田(昌秀)知事は私たち学者を訪米団として派遣し、
そんな北朝鮮はアメリカにとって脅威ではないと説明して回ったことがあるほどだ…」


◆共通した認識
 大田氏は知事選で敗れた後、12年になって125人という大規模な朝鮮沖縄友好訪問団を組織した。
まるで一国を代表するかのような大訪朝団には秘書長役として一坪反戦地主の元沖縄タイムス労組委員長
県幹部らも多数参加した。

 当時の県教育文化資料センター事務局長の久高賢市氏は
「敵は社会主義国北朝鮮にあらず、脅威論を展開し軍事的緊張関係を継続させようと喧伝(けんでん)し、
沖縄の米軍基地を固定しようかとする輩(やから)にあるのだ」(月刊『日本の進路』12年6月号)と、
訪朝報告を興奮気味に書いている。

 沖縄が帝国主義の犠牲という位置づけ、さらには帝国主義国(日本)からの離脱(独立)の
是非が問われている点はまさにチュチェ思想を信じる知識人層に共通した認識といえる。
一坪反戦地主の一人で元沖縄タイムス論説委員川満信一氏は昭和55年、「琉球共和社会憲法C私案」を発表、
沖縄の日本からの自立を訴えて知識層に大きな反響を呼んだ。

だが、実際には独立運動が具体化したことはなく、問題はそうした機運が、緊急性を帯びる
「日本の守り」から目をそらしていることだろう。

チュチェ思想と反基地運動




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[チュチェ思想
チュチェ思想
主体思想(しゅたいしそう)、チュチェ思想(-しそう)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)及び
朝鮮労働党の公式政治思想である。


 日本語では、この思想が国際的に宣伝されるようになった初期には、出版物などで
「主体思想(しゅたいしそう)」と表記されることが多かった。
しかし、「チュチェ」という概念は独自のものであり、各言語の既成の用語で表せないため、
漢字の「主体」ではなく、朝鮮語の音をカナに転写して「チュチェ」と表記するのが正しく、
「主体思想」という表記はふさわしくないという理由から、やがて漢字表記はなされなくなった。


概説
 北朝鮮当局は、金日成が創始し金正日が発展・体系化したものとしている。
初期は北朝鮮を翻弄する国際情勢や周辺大国の影響に苦しんでいた金日成が
反ソ連の立場を打ち出すために北朝鮮の自立性と主体性を主張して
「ウリ式社会主義」(「我々式/我らの社会主義」の意)を唱えたことから始まっている。

その後、中ソ対立が北朝鮮の独自路線を決定づけ、独自の公式イデオロギー整備へとすすませた。
以降も、北朝鮮および金日成政権を取り巻く情勢と政策課題を反映して公式イデオロギーに関する新たな解釈が次々と公式プロパガンダ上で登場した。

公式イデオロギーに対する解釈は時期によって変化している。
1967年に唯一思想体系が採択され指導思想として「金日成主義」を打ち出そうとしたが、
これもほどなくして「チュチェ思想」に一元化された。

このような紆余曲折を経ながら「主体(チュチェ)」の語は独自の概念規定を与えられるに至った。
しかし、その規定さえ頻繁に変化しており、どのようにも解釈可能なマジックワードとしての様相を
見せてから長い時間が経っている。

チュチェ思想の解釈権は朝鮮労働党が一元的に握っている。
チュチェ思想の哲学的修辞法や論理構成は金日成の側近・ゴーストライターだった黄長によって
整備されたものと言われている。
黄長の手によって、1990年にはマルクス・レーニン主義を基礎にしながらも
すでにそれを超克しており、局面ごとには立場を異にすると宣言した。


思想論
以下が主体思想の内容である。



自分の運命の主人は自分自身であり、自分の運命を開拓する力も自分自身にある。
故に、革命と建設の主人公は人民大衆であり、革命と建設を促進する力も人民大衆の側にある。

哲学的原理
   1.根本原理:人間は世界と自分の運命の主人であり、それらを開拓する力も人間が持っている。
   2.人間の本質的特性:人間とは自主性、創造性、意識性を持った社会的存在である。
   3.社会的運動の固有な合法則性:人間の自主性、創造性、意識性が高まり、
                         それらが社会に影響する割合が高まる方向に発展する。

革命的首領観
 従って、革命と建設の主人公である人民大衆は必ず首領の指導を受けなければならない。

首領は頭であり、党は胴体であり、人民大衆は手足と同じである。

胴体と手足は頭が考えたとおりに動かねばならない。頭がないと生命は失われる。

よって、首領の権威は絶対的であり、全ての人民大衆は無条件に従わねばならない。


ここで謳われた指導者原理だけは、主体思想の解釈がどのように変遷を遂げても、変化していない。

社会政治的生命体論
 肉体的な生命は生みの親が与えるが、政治的な生命は首領が与えるもので、
首領は生命の恩人であり父と同じだ。
従って、父の間違いで家が傾いたと言って、父を代えることができないように、
首領を代えることはできないのである。全人民は、団結して無条件に忠誠を捧げなければならない。


チュチェ思想とは
 北朝鮮のいわゆる「主体思想」。
1960年代の中ソ対立の中で北朝鮮の自主性を守るために、金日成〔キムイルソン〕が打ち立てた。
マルクス・レーニン主義を下敷きに、人間観、歴史観、領導論、自主路線政策、関係理論などを粗描したもの。
世界中のありとあらゆる革命思想の百科事典であり、全面解答を与えうるとされている。
(“ホーム”では)。同様に、北朝鮮・金日成の社会主義農法のことを「チュチェ農法」という。



チュチェ思想
 故金日成(キム・イルソン)主席が唱えた、北朝鮮の指導理念。
「思想における主体、政治における自主、経済における自立、国防における自衛」を図るとされ、
「主体経済」「主体農法」といった、幅広い使い方をされる。
北朝鮮は年号も「主体」で、故主席の生年(1912年)を主体元年としている。




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