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フェンス美化活動を通して沖縄とアメリカの人たちが親睦を深める
フェンス美化活動を通して沖縄とアメリカの人たちが親睦を深める

 【米海兵隊普天間航空基地】 普天間基地の野嵩(のだけ)ゲートを車で出入りする人々は、一週間を通してゴミが山積みに増えていくのが分かる。
そして金曜日になると大量のゴミがフェンス沿いに散らかっているのを目にする。

 沖縄の市民グループ、海兵隊、軍属のボランティアたちが日曜日の午前中にゴミを撤去するので、毎週月曜日になるとフェンスやその周りはきれいで、本来の状態に戻っている。

 フェンス沿いをきれいにするプロジェクトは2012年12月に市民の声かけで始まり、ボランティアたちはこの作業を通して親睦を深め、地元を美化する方法として用いている。

 フェンスをきれいにする活動のプロジェクト・マネージャーを務める手登根(てどこん)ボギーさんによると、「普天間基地のフェンスラインは宜野湾市の景色の一部です。私たちは基地内の人たちを良き隣人および友人だと考えているので、ゴミを置き去りにしておく場所ではないと思っています」

 普天間基地のゲート近辺では米軍基地に対してや沖縄県内で自分たちが関与している事柄に対する見解を述べる人たちの共通の集合場所となっている。一週間の内に段ボールのプラカード、赤い粘着テープ、赤いリボンの切れ端など様々なものがゲートのフェンスに結びつけられる。

 沖縄の人たちが増加したゴミの山に気づき、基地内で暮らす人々や基地に勤務している人たちへの感謝の気持ちを表してフェンスをきれいにし始めたと、沖縄オスプレイファンクラブ会長の宮城美香さんは説明しています。

 基地内の人たちもきれいになったフェンスに気づき、そのうち海兵隊員や軍属の人たちも沖縄の人たちと一緒になってボランティア活動に参加するようになりました。

 普天間基地のブレント・クック上級曹長は、「私は単なるボランティアとして沖縄の友人たちと一緒にフェンスをきれいにしているだけです。私たちが個人として好ましい行動を行い人々を結びつけていることを示せるので、日曜日の午前中を過ごすには素晴らしい方法ですし、宜野湾市のために行っていることなんです」と話しています。

 フェンスをきれいにする人々の数は増し、プロジェクトは単なる地域支援活動ではなく、友情の輪を広げ友情を育む良い場所になっているとこの活動を通して人々と出会うことを楽しみにしているクック上級曹長は説明しています。

 継続して行われている地域への貢献を通して、沖縄の人々、海兵隊員、軍属の人たちが引き続き日本で良い関係を育んでいます。

 手登根さんは最後に、「このプロジェクトを通して日米の友好関係向上に取り組んでいます。『友達』の本当の意味は、地元住民とアメリカの人たちが一緒に街をきれいにする活動などを通して友好関係を築くことだと思います。友情は良い環境を維持する最良の方法です」と話していました。


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李登輝・元台湾総統が語る―台湾が感動した安倍総理の「大切な日本の友人」発言

じつに私は十数年にわたり、日本が経済的苦境を脱するためには、インフレ目標を設定するなど大胆な金融政策を採用すべきこと、また同時に大規模な財政出動を実施することで経済を強化することの必要性を建議してきた。まさにいま「アベノミクス」と呼ばれる一連の政策によって、これらが実現しようとしている。私が安倍総理のリーダーシップに注目する理由である。

 これまで日本の指導者は隣国の中国や韓国、あるいはアメリカからの批判を恐れて、円安政策に踏み切れないでいた。日銀も「事なかれ主義」に陥っていたのである。こうした日本の状況を指して、私は2003年2月に発売された『論争・デフレを超える』(中公新書ラクレ)に収められた論文のなかで、次のように指摘した。

 「デフレはたんに経済的な問題ではなく、日本の政治指導力の問題だ。日本は米国依存と中国への精神的隷属から抜け出さなければ、いまの苦境を脱することはできない。国際社会における日本の経済的自立、精神的な自立こそがデフレ脱却の大きな鍵だ」

 一国の経済の舵取りには、強いリーダーシップが不可欠だが、安倍総理にはそれがあるようだ。また現在、安倍総理は金融政策だけでなく、大胆な国内投資の実行も掲げている。これまで日本では「国債の発行残高が高すぎる」「もうお金がないから」という理由で、大型の公共事業に対して批判的な声が強かった。しかし、安倍自民党は10年間に200兆円といわれる「国土強靭化計画」を実施しようとしているという。

もともと台湾は、非常な親日国である。東日本大震災に対する台湾から日本への義援金は200億円を超え、世界一となった。私も東日本大震災の報に接したときは、刃物で切り裂かれるような心の痛みを感じ、「自然の猛威を前にしてけっして運命だとあきらめず、元気と自信、勇気を奮い起こしてほしい」との励ましのメッセージを送った。台湾人は日本のことをなぜこうも大切に思うのか。

 今年3月13日、東北の大学生30人余りが東日本大震災時の日本支援に対して台湾に感謝を述べに来た。その学生たちを前に、私は次のような話をした。

 「日本は半世紀にわたって台湾を統治しました。この間、もっとも大きな変化は台湾が伝統的な農業社会から近代社会に進化させられたことです。日本は台湾に近代工業資本主義の経営観念を導入したのです。また新しい教育制度が導入され、近代的な国民意識が培われました。やがて台湾人は自らの地位が日本人に比べて低いことに気付きます。ここに『台湾意識』が芽生えました。『台湾人の台湾』という考えが生まれ、これが国民党に対抗する力となったのです」

 台湾には「犬が去って、豚が来た」という言い方がある。犬は戦前に台湾を統治していた日本人、豚は大陸から来た中国人を意味する。渋谷に忠犬ハチ公の銅像があるだろう。犬は吠えてうるさいが番犬として役に立つ。これに対し、豚は食い散らかすだけで何もしない。大陸から来た中国人に比べれば、日本人のほうがはるかにましだったという、台湾人の考えを表した言い方である。

 また、台湾人が好んで用いる言葉に「日本精神(リップンチェンシン)」というものがある。これは日本統治時代に台湾人が学び、ある意味で純粋培養されたもので、「勇気」「誠実」「勤勉」「奉公」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった精神を指す言葉である。じつはこの言葉が台湾に広まったのは戦後のことで、当初は大陸から来た国民党の指導者が自分たちには持ち合わせていないものとして、台湾人の気質を示したものだ。台湾に浸透したこういう「日本精神」があったからこそ、戦後の中国文化に台湾は完全に呑み込まれることはなかったといえるし、現在の近代社会が確立されたともいえる。

日本との関係を思うとき、私にはいまだに了解できないことがある。このことについて少し述べたい。

 99年9月21日、台湾大地震が起こったのは台湾総統の任期があと8カ月で終わるときであった。各国から救助隊がやってきたが、真っ先に駆けつけてくれたのが日本であった。人数も多かった。またありがたいことに小池百合子代議士は、仮設住宅の提供を申し出てくれた。さらに、当時曽野綾子氏が会長を務めていた日本財団は3億円を寄付してくれた。授与式には曽野氏がわざわざ訪台され、私と会見した。その際に私は曽野氏に対して、もし将来日本で何か起こったら、真っ先に駆けつけるのは台湾の救助隊であると約束した。

 しかし、先の東日本大震災ではその約束が果たせなかった。震災発生直後、日本の対台湾窓口である交流協会を通じてすぐに救助隊の派遣を申し出たのだが、なかなか話がまとまらない。時間を無駄にはしたくないと考えたわれわれは、やむなく山梨県甲府市のNPO(非営利団体)と話をつけて、救助隊を自力で被災地に向かわせることにした。

 台湾からの救助隊の第一陣が成田空港に到着したのは3月13日。すでに中国や韓国の救助隊は到着していた。さらに日本に到着してからも、「台湾の救助隊を迎え入れる準備ができない」と外務省にいわれてしまう始末であった。

 なぜ、当時の日本政府は台湾の救助隊を受け入れることを躊躇したのか。「台湾は中国の一部」とする中国共産党の意向を気にしたとされる。日本の台湾に対する気持ちはその程度のものだったのかと残念に思った。日本に何かあれば、台湾の救助隊がいちばんに駆けつけるという曽野氏との約束を果たせなかったことは、私にとって生涯の痛恨事である。

 また2001年、持病の心臓病の治療のために訪日しようとした際、私を入国させることで中国を怒らせることを恐れた当時の外相や外務省の反対で、なかなかビザが下りないということもあった。「義を見てせざるは勇なきなり」という武士道の精神を表す言葉がある。武士道は日本人にとって最高の道徳のはずである。このとき私は、日本という国がほんとうにおかしくなっていると感じた。

 震災直後、時の首相であった菅直人氏はヘリコプターに乗り、上空から被災地を見て回ったものの、それだけで終わってしまったという。本来であれば菅元総理は、自衛隊の幕僚長と内閣の官房長官を従え、ヘリコプターから降りて被災地を一つ一つ見回り、被災者を慰問し、地方自治体の指導者から救済措置と財政負担を聞き取ることが必要であった。国民が苦しんでいるのに、菅元総理はどのような顔をしてヘリコプターに乗っていたのか。彼はしょせん民主党の指導者であって、国家の指導者たる資格はなかったのである。

台湾が感動した安倍総理の友人発言

 これまで日本政府は中国の意向を気にして、台湾への配慮を怠ることが多かったが、こうした流れを一気に変えたのが安倍総理である。日本政府が今年3月11日に主催した東日本大震災2周年追悼式。そこには各国の外交使節と同様に、指名献花する台湾代表の姿があった。多額の義援金を寄付したにもかかわらず、昨年の追悼式で台湾を指名献花から外した非礼に関しては、日本国内でも多くの批判があったと聞く。今年の追悼式で安倍総理はそれを是正したことになる。

 また安倍総理は、交流サイト「フェイスブック」上で台湾の支援に言及し、「大切な日本の友人」と表現した。これには多くの台湾人が感動した。安倍総理は、歴代の日本の政治指導者がみせた“中国さまさま”の意識にとらわれることなく、激変する国際社会への対応を学んでいるようにみえる。

 憲法改正や集団的自衛権の行使、国家安全保障会議の設置など、戦後日本の積年の課題に手を付けようとすれば、まず7月の参院選に自民党が勝つことが前提となる。そのうえで安定政権をつくることが重要だ。そのために安倍総理は、自民党の古参議員や若手、新人議員、また野党やマスメディアに対して、辞を低くして、自分のめざすところを説明していく姿勢が求められる。いま安倍総理には国民の高い支持が寄せられているが、そのことには絶えず感謝の意を表すべきだ。さらに憲法改正ともなれば、いまのうちからアメリカに説明しておくことも必要であろう。

 結局、政治は忍耐である。耐え忍ぶ忍耐力をもたないと、ほんとうの勇気は出てこない。これこそ、政治の指導者が理想とすべき真の武士道精神ではなかろうか。

 ふりつもるみ雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき人もかくあれ

 昭和天皇の御製である。安倍総理もよくご存じだと思う。昭和天皇もまた武士道をよく体現されたお方であった。そうでなければ、あのマッカーサーをたちまち心服させることなどできなかったであろう。この昭和天皇の御製をもって、私から安倍総理へのエールとさせていただきたい。
http://shuchi.php.co.jp/article/1413
http://shuchi.php.co.jp/article/1412


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自衛隊が太平洋で中国人船員を救助、在日中国大使館「心から感謝」 新華社が報道
自衛隊が太平洋で中国人船員を救助、在日中国大使館「心から感謝」
新華社が報道

2010.10.2

中国国営通信の新華社は2日、日本東方の太平洋を航行していた中国貨物船で9月末、中国人乗組員が急病にかかったため、海上自衛隊のヘリコプターなどが出動して救助したと報じた。

 これに対し、在日中国大使館が日本側に「心からの感謝」を表明したとしている。

 2日付の中国紙も、菅直人首相が所信表明演説で日中関係の重要性を呼び掛けたなどと伝えており、中国漁船衝突事件で悪化した関係修復に向けた中国側のメッセージとみられる。(共同)

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[未分類]  thema:国防・軍事 - genre:ニュース
東京裁判・橋下弁護士のマジメな解説 「極東国際軍事裁判」
橋下弁護士のマジメな解説

弁護士

東京裁判  (1946年5月~1948年11月)

東京裁判とは何か少し解説をしていきます。
東京裁判とは、
ポツダム宣言に基づく”極東国際軍事裁判”です。
ポツダム宣言、1945年8月14日に日本は受諾しました。
敗戦の受諾ですね。
これに基づいて、A級戦犯28名、容疑者は100名以上いるのですが、
A級戦犯として28名がこの裁判で起訴されました。この裁判にかけられました。
このA級戦犯、A級の意味なのですけど、A級、B級 C級があるのですが
これは勘違いよくされるのですが、別に『A』で一番重い罪というわけではありません。
いわゆるカテゴリー、区分分けでありまして、A級の意味とは、
侵略戦争の計画・開始・遂行または、その共同謀議を
行った”平和に対する罪””人道に対する罪”
この二つの罪を犯したということがA級の意味なのです。

東京裁判

ここに大きな問題点がありまして、”平和に対する罪””人道に対する罪”これは
第二次世界大戦時においては、こういう罪(”平和に対する罪””人道に対する罪”)はありませんでした。
このポツダム宣言の受諾、1945年8月14日この時点において、
こういう罪(”平和に対する罪””人道に対する罪”)が新たに作られたわけなのです。
近代刑法において、いわゆる事後法、後から法律を作って、前の行為を裁くということは
これは、絶対に許されてはいない事なのです。

しかも、この東京裁判の裁判官、11カ国から11名、すべて戦勝国側の裁判官によって構成されております。
裁判というものは、法の正義を実現する機関でありますから、これは戦勝国だけの裁判官では
非常にマズイ訳なんですね。
敗戦国である日本側の裁判官も入れるべきではないかと、大きな問題点として議論されています。

パール判事

この11カ国から11名の中の裁判官の中に、インドのパール判事という裁判官も入ってたのですけど
このパール判事は、A級戦犯28名に対しては、全員無罪の判決を下しています。

これはGHQのその後の占領政策において、このパール判事が下した判決、
まったく公開されておりません。

日本の戦後教育においても、パール判事が無罪判決を下し、この無罪の内容、なぜ無罪になったのか
このことは、一切教育されてきませんでした。

先ほど言った、後から法律で罪を作って、裁くということは
これは許されないということが、パール判事の主な主張、判決の内容です。

この東京裁判において最終的には、7名が死刑判決ということで絞首刑に処せられました。
死刑判決は、7名なのですが、
その後、死亡した者を含めてA級戦犯14名が靖国神社に合祀されております。
これは、1978年ですね。

靖国神社に、日本の首相が参拝すること、日本のリーダーが参拝することは
戦争を美化している、反省の色がないということで、中国・韓国から厳しく批判をされて
これが外交問題にもなっているのですけど、
そもそも、A級戦犯、東京裁判でA級戦犯にされたのですけど
東京裁判というのは、本当に正しかったのか、本当に戦犯なのか、
ここをもう一度、議論する必要があると思います。

靖国神社

これに対して日本政府の方は「サンフランシスコ講和条約により、東京裁判を受諾しているから
意義を申し述べる立場にない」。すなわち、東京裁判を無条件に、受け入れたのだと
日本は受け入れたのだという見解で、東京裁判の見直しをやるつもりはないというのが
日本政府の見解なのですけれど、ここには大きな問題点があります。

サンフランシスコ講和条約、この中で、裁判すべてを受諾したのか
それともその一部、判決だけを受諾したのか、ここも含めて、大きく日本政府の見解、これについても
もう一度、検証してみる必要があると思います。

____________________________________________________________________

2005年・8月14日の放送

東京裁判は・・・「正しかった」「不当である」

正しかった OR 不当


宮崎 哲弥「不当である」
橋下弁護士「両方」
田嶋 陽子「正しかった」
安 めぐみ「正しかった」
稲田 朋美「不当である」
蟹瀬 誠一「正しかった」
三宅 久之「不当である」
桂ざこば「不当である」

たかじん「基本的に戦争が終わった後に、戦勝国が設定した裁判であるというのは間違いないですね、宮崎さん」

辛坊治郎「ちょちょちょ、橋下さんは?」

橋下弁護士「あぁ、僕、両方です」

たかじん「え、両方・・」

田嶋陽子「私も正しかったじゃなくて、不十分であったと言いたいの」

たかじん「不十分と不当では、違う・・」

数人「はい。全然違う」

橋下弁護士「政治的な意味と法的な意味があるんで。。。」

たかじん「橋下君から聞きましょか、じゃ、はい」

橋下弁護士「政治的に僕は正しかったと思います。これは、敗戦直後の混乱期を抑える為には、政治としては東京裁判がなければ、占領政策が遂行出来なかったと思うんですね。象徴天皇制を残すことによって占領政策を遂行しようと思えば、要はA級戦犯いわゆる、生贄を差し出してですね、天皇の戦争責任を回避したという意味においては政治的な戦略に対しては正当だったと思うのですが、裁判という法的な意味においては、不正義です。裁判という言葉を使うことだったら、僕は反対なんですけれど。裁判じゃなくて生贄行為ということであれば、僕は正当だったと思うのですが、裁判という名前は使っちゃいけない。法的には成立しない」

宮崎哲弥「先ほどパール判事が発言が出ていましたが、事後法。日本の刑法は「遡及処罰の禁止」をしています。後で作った法律を、前の犯罪に適用した、仮に犯罪行為だったとしても、それはその時点で犯罪法が行われた時点では存在しなかった法律だったわけですね。たとえば、”平和に対する罪”とか、”人道に対する罪”というのは。そういう意味では、事後法であるから、これは不当であるというのは法律的に正しいですよね。

事後法


橋下弁護士「そうです。後から作った罪で裁くというのは、言語道断ですね」

宮崎哲弥「もう一つは、勝戦国の裁きということをどう考えるか。これは、東京裁判だけではなく、ニュルンベルク裁判、それ以降行われた、最近のミルティノビッチのハーグ国際法廷にも波及しかねない話ですけど。勝った者が敗者を裁くというのはどういうことなのか、考えてみる必要がある」

橋下弁護士「仮に戦争犯罪人というのを裁くとすれば、平和条約が終わった後、要はきちんと、その国が負けた敗戦国が、独立国として主権を回復した後に、その国において裁判をするのだったらいいのですけど、講和条約の前に、行われるそういう裁判なんて、まったく裁判でもないです。」

蟹瀬誠一「橋下さん、僕はジャーナリストと見た時にはね、やっぱり大きな戦争があって、一つの時代の転換を迎えた時に、2年7カ月。日本円にして17億円の金をかけてね、これだけの人たちが集まって、今、裁判ではないとおっしゃったけれども、ちゃんと被告人には弁護人を付けて、そうやって少数意見が反映されるような場も作って、僕は専門家ではないからよく分からないけれども、ニュルンベルク裁判のそれを踏襲しながら、和平までも同じものを作ってやったわけでしょ。もう一つね、この裁判が凄かったなっと思うのは、僕は、全部正当だと言っているわけではないですよ。。凄かったなっと思うのは、3台のカメラを設置して、すべてを記録して、しかもその時の同時録音。音声が全部残っているわけですよ。これを我々はちゃんときちんと見てね、評価しないとだめだと思う」

橋下弁護士「アメリカはまったくですね、蟹瀬さんのような意見を作り出す為に、裁判という形だけを装ったんですよ。今、蟹瀬さんは言われたように、弁護人付けたと言いますが、実際は弁護人が提出した証拠、9割がた却下です。」

蟹瀬誠一「うん」

橋下弁護士「そもそも、裁判管轄が東京裁判が、あの”極東国際軍事裁判”が管轄権があるのかどうなのか。日本側の弁護人が徹底的に争ったにもかかわらず・・」

蟹瀬誠一「僕はね、裁判としての形、形は作られたという話をしているわけで内容がね。。」

橋下弁護士「裁判じゃなかったということであれば色んな言い付けがあるのだと思うんだけど、裁判という言葉を使っちゃだめだと思うんですね」


ラダ・ビノード・パール

田嶋陽子「ちょっと置いておいてね。先ほどパール判事の話が出たのですけど、靖国の遊就館へ行くと彼の銅像が立っていて、彼は日本が犯罪人ではないということ、戦犯のことを否定したということで、彼の銅像が立っているわけですね。でも、パール判事は何と言ったかというと、先の事後法という視点でいけば、無罪だけれども、でも彼はちゃんと言っているのね、だからと言って、日本がやったことは許されることではないと言ってるわけ。ところが今、世間ではそこは抜かして、ただ無罪であったと、そこだけ言っているのは、ちょっと彼に不当だと思うのね。なぜなら、あの裁判が終わった後に、5人の人が不服を唱えたのね。判事たちが。。そのうちの一人は、パールで。もう一人はフィリピンで。もう一人はニュージーランドで。一番の裁判長ウェブさんね。このパール判事のことをフィリピンの人は批判したわけ。あんたのお陰で自分はもっと言いたいことが言えなかったって。パールさんはなんで、これを言ったかというと、私の考えでは、結局あそこで、勝てば官軍で、勝者が裁いたわけだけど、その人たちみんな植民地を持っていた国だよね。アメリカ、イギリスとか、オランダとかね。で、結局パールは自分の国が、イギリスによって植民地化されてきたわけでしょ。その不当性を心に抱えていた人なんですよね。だから、あんたたちに裁かれたくはないって。だから自分の国のことも言いたかったわけで、そういう視点からいうと日本は無罪だよって。でも、自分はこの罪は許しているわけではないよって言っていることは、みな知っていたほうがいいと。。。」


橋下弁護士「パール判事が否定したのは、何も日本の違法性を言ったのではなくて、敗戦責任があると言ったわけですよ。負けた責任があるだけであって、そこに侵略性とかそういうのを認めたわけじゃないですよ。パール判事は。敗戦責任というのは、要は何が言いたかったというと、あの東条英機を始め、国民に対しては、きちんと責任を負わないといけない場合が出てくると。要は、言われなく、不本意で命を亡くした方というのは日本国中に何百万いるわけですから、そういう方々に対しては敗戦責任を負わなければならない。勿論それは、対外的にも負わなければいけないけれども、それに違法だとか不当だとか、一切、パール判事は言ってないですよ」

田嶋陽子「私が関心持ったのは、ウェブ裁判長も途中で裁判長を下ろされて、1か月位オーストラリアに帰らされちゃうんですよね。なぜかと言ったら、アメリカはどうしても天皇責任を回避したかった。だから、裁判所に天皇を連れてきたくはなかった。だけど、ウェブさんは、どうしてもこの戦争の責任の張本人は天皇だと思っていて、それで、裁きたかったんだよね。だけどアメリカは工作して、結局は、そこのところをねぐったわけですよ。東条さんだって、「天皇に逆らう人は誰もいない」と失言しちゃって、それを結局、工作して東条さんも言い換えて、そうやって天皇を裁判所の中に引き出さないようにするぐらい、アメリカはマッカーサー頑張ったの。だから、この東京裁判は正しかった、正しくなかったと言うけれど、あそこで、結局は、私たちはあの裁判で救われたというか。。たとえば日本の植民地制度のことだって、自分たちだって植民地持っていたから、ねぐって、あそこでは裁かなかったし、それから731という細菌で人体実験したことも、あそこでは裁かなかったし、結局、裁かなかったものが、マッカーサーのお陰であるわけ。それをどうするか。だから、この裁判が正しかった、正しくなかったって、そういうことを言い募るけど裁かなかったことで、罷免されたことは、どういう風に処理するの。

稲田 朋美

稲田朋美「私も、橋下弁護士と同じ考え方ですけど、東条さんが裁判の最終段階になって、宣誓供述書を出して、そして検察官のキーナンと一騎打ちをしているのですけど、その中で東条さんが国民に対して敗戦責任は負うけれども、自分は国際法上はなんらやましい事はしていない。私は、それが本当、正しいと思うんですね。東京裁判というのは、国際法上、二重の意味で違法で、それはどうしてかというと、さきほどの事後法で、たとえば今、いきなりお酒飲むのが禁止されて、お酒飲んだ人は死刑だといって、三年前に、たかじんさんがお酒飲んだから死刑だというのと同じ意味での事後法。もう一つは、ポツダム宣言を受諾して、降伏条件の中に戦争犯罪人を裁くとあったのですけど、降伏条件の中に戦争犯罪人といった時に、”平和に対する罪”つまり侵略戦争したことで、指導者を裁く法律はなかった、そういう決まりはなかったのだから、事後法という意味からも、降伏条件、つまり連合国と日本との条約にも違反しているという二重の意味で東京裁判が不当であるということは、間違いのない事実で。それと国民に対する敗戦責任とは区別してね、考えて欲しいなと思います。」

ポツダム宣言

戦争犯罪人の処罰

宮崎哲弥「あとね、もう一つね。ウェブの。。天皇の戦争責任論について、私は天皇の戦争責任論について、論じるべき課題だと思いますけれど、ウェブや、キーナンが考えていたことというのは、田中上奏文という偽書あるのですね。これは完全にユダヤの議定書と同じような意味で、まったく虚偽の文書であるということが知られているわけですけれど、彼はそれを見ていたと。これは昭和2年に田中儀一が天皇と共謀して世界征服を目指す、日本民族が世界を征服するための、計画を立てるという、そういうあとでねつ造された文書ですけど。これをどうも信じていて、実際、初期には証拠として提出されています。これはさすがに批判を受けてですね、取り下げられたんですけど、そういうオカルト的な、陰謀文書というものに、彼らの脳が洗脳されていた可能性は否定できないと思うのですね。」

田中上奏文


三宅久之「あのね、元々、東京裁判というものはだね、裁判ではないんですよ。政治ショーなんですよ。裁判という名前の政治ショーにすぎないんでね。私は東条英機とか、板垣征四郎とか土肥原賢二とか軍人についてはね、戦争責任は明確にあると思っているのですよ。だけれども犯罪者ではないんですよ。A級戦犯という犯罪者というのは、あくまで勝者が付けた名前でね。しかも、独立後、昭和28年に国会の決議でね、赦免。。というか復権させているわけですよ。そうでないとね、戦没者、戦病者、家族援護法という法律がね、懲役3年以上は摘要されない。ですからね、100人斬りの向井少尉なんかもそうなんですけれども、B・C級裁判で裁かれた外地で裁かれた人々はね、まったく無実であっても、家族は食べることが出来なかった、自給できないから、その援護法の適用をね。その為に生活保護を受ける人もいたんでね。その為に、左右両派、社会党まで一緒になって復権決議をしたわけですよ。だから今でも、A級戦犯というのは、勝者が言うのは勝手ですよ、アメリカやイギリスが言うのは勝手ですが、日本人がね、A級戦犯、A級戦犯というのはおかしいんですよ。それが日本人が裁いてね、それが戦犯というのなら話は違うけれども。勝者が勝手にですね、何のルールもない間に政治ショーをやってね、戦犯だといったから。。。」

A級戦犯

蟹瀬誠一「A級戦犯、B級戦犯・C級戦犯とかね、日本の人達がどれだけ理解しているのか。僕は大学で教えているけれども、大学で学生にどうなんだというと、A級戦犯の人は絶対に許されないんだと、ずっとA級(永久?)に戦犯なんだからというね」

宮崎哲弥「だから、A・B・Cというのは、区分なのです。だからB・C級だって死刑になった人、いっぱいいるわけですよ。」

蟹瀬誠一「B・Cというのは殺人と、通常の戦争の。。。。」

稲田朋美「B・C級戦犯でもね。。」(遮られる。。)

三宅久之「この番組でね、中国の学生諸君が来たことがあったわけですけど。その時、A級戦犯って何ですかというと、一人も答えられなかったんですよ。A級戦犯ってのは悪いんだ、中国を侵略したんだってことを教えられている。。。」

宮崎哲弥「だから、あれはA種戦犯という、というのを使った方がいいですよ」

橋下弁護士「A級というとね、物凄い戦犯になってしまう、勘違いされてしまう。」

稲田朋美「すみません、B・C級戦犯でいうとね、B・C級戦犯では、連合国。。100人以上の人が戦犯で銃殺刑に処せられたんですけど、そのB・C級戦犯がどんなんだったかというと100人斬りもそうだったんですが、ほとんど証拠がない、実際、サンフランシスコ平和条約が発行する直前の国会で、その当時を見てきた人が証言してきているのですけど、人違いとか、あとそこに居ただけとかAという事件では無罪だけれども、Bという事件では有罪という、結局、銃殺刑になるまでBという事件が何であったのか裁判所が言わなかったとか、あと検察官が起訴状を読んだらあまりにも、おかしな話で、裁判官笑ってしまって、無罪にしてしまったとか、本当にもう裁判じゃなくって東京裁判もそうですけれど、裁判というからおかしくて、あれは茶番というふうに通称しないと誤解するのではないかなと。。。」

辛坊治郎「B級の中にはよく出てくる話ですけど、捕虜虐待で死刑になったと、何をしたのかというと、木くずを喰わしたと。。」

たかじん「なに?」

辛坊治郎「木くず。カンナくず。食べさせたのはカツオぶし。カツオぶしなんか分からないから、木くず。木くず、無理やり喰わして虐待だー」

三宅久之「あのね、木の根を喰わしたというのがあるんですよ。ゴボウのことなんだね。それはね。日本人では別に不思議に思わないけど。。」

辛坊治郎「ただ確実に言えるのは、日本は戦争に負けた。独立する52年に独立する条件として、東京裁判の判決は受け入れますから、独立させて頂戴というて、頭下げて、独立しているわけだから、しょうがね~じゃないかという話じゃないですか」

稲田朋美「それはね、死んだ人を生き返えさせられないとか、不当な裁判だけど、水に流すわという意味だけで、判決に書かれた嘘とかね、判決に書かれた不当な事実がね、本当だったとか、あの裁判が正当だったんですというところまで、卑屈に日本人がならなくてもいいじゃないかなと思います」

田嶋陽子「これから学者が調べればいいじゃないですか。でも私らは学者じゃないし、それに一生かけるわけにはいかないから、裁判が不当だとしたら、みなさんの力でそれはきちんと調べていけばいい。2000万人の人と、310万人の人が死んだり、殺されたり、間違って刺されて死んだり、えらい目に合っていることは事実なんだからそのことはきちんと。。。」

橋下弁護士「昭和28年の段階で4000万人の国民がね、全部、戦犯を赦免しようと無罪放免にしようと署名が集まって国会一致で無罪放免にしたんですよ。それはなぜ、メディアの方で伝わってこないかというと、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムといって、要は占領軍がですね、一切、戦犯とか東京裁判についての批判とか言及したらならんと。。。学者の人がですね、サンフランシスコの11条。判決を受け入れたから、すべて日本は受け入れたんだと、小泉さんもそんな事、言っちゃって、大間違いでしてね。あれを受け入れたら何かと言うと。。サンフランシスコ講和条約。。平和条約を結ぶと、戦犯というのは全部、無罪放免になるんです。それはもう、国際慣行なんです。それを今回の東京裁判でやらないでおこう。日本というのは、とんでもない奴らだから平和条約を結んだとしても、戦犯は戦犯として、刑を執行しましょうという意味だけでね。。。」

三宅久之「今の橋下さんの解釈、誠に正確でね。私は思わず見直したよ。」

蟹瀬誠一「僕は田嶋さんがおっしゃっているようにですね、○○的に。。。100%、正しいと求めることは弁護士の立場から当然のことだと思うけれども、やはり歴史の大きな流れの中でね。どういう状態だったのか、そしてその時の同時代性というのを僕らは持たないと、今の時代で振り返ってみたときには、これはけしからんという話になるわけで。。。」

三宅久之「同時代性ということはね、たとえば日本が植民地支配というけれども、それでは、アジアで植民地じゃない国は、日本とタイだけですよ。あとは全部、植民地なんだよ。だからね、その時には、どこの国もそうだったんだから。村山内閣の時にね、土井たか子さんが団長として、謝罪使節団を出した時にね、他の国に行っているわけですよ、フィリピンのラオス大統領とかね。アメリカはこの国を植民地したけど謝りに来た事、一回もないよと言っているわけですよ」

蟹瀬誠一「村山さんは、あの時には、一時的な国策の誤りで。。」

村山談話

三宅久之「彼はね、国策ということが分かってないんですよ。分かってないポン助がね、。。(解読不能・・・)???。。自民党が一番悪いよ。」

田嶋陽子「今頃ね、みっともないよー。恥ずかしいよ。満州事変から、支那事変から、みんな日本が仕組んでやったんでしょ。満州ってところは利権が。。。」

橋下弁護士「その当時のね、世界史のね、帝国主義を見て下さいよ。」

田嶋陽子「じゃね、人が泥棒したら自分も泥棒してもいいの?子供の頃、言うと怒られた親に。(解読不能・・・)???私だっていいじゃん、人が悪い事して自分もやればいいのかって、あんた達のいうことはそれと同じよ」

橋下弁護士「地域の慣行。。。??長屋でねちょっと醤油とってきてもいい、そんな地域もあるわけですよ」

(解読不能・・・)

稲田朋美「ひとつひとつのね、間違いがあったとか、日本がやったことで間違えたとか、満州事変、支那事変についてね、こうすべきだったという誤りはあったと思うんですけど、国際法によってそれが侵略戦争だったかというと

田嶋陽子「人が死んでいるのに。。法で隠れ蓑にするんじゃないよ。あんた人が死んで(解読不能・・・)法律の隠れ蓑よくないよ」

(解読不能・・・)

橋下弁護士「有史以来、何百万、何千万、何億人死んでいるわけではないですか。。。」

田嶋陽子「そうやって一般化しちゃって、だからやってもいいの?」

(解読不能・・・)

橋下弁護士「(解読不能・・・)。。今後はだめですよ。当時は仕方なかったと出てくるじゃないですか。

(解読不能・・・)

宮崎哲弥「(解読不能・・・)

桂ざこば「田嶋先生ね、人が死んだんだよと言うたでしょ。ほんなら、池田の事件でも子供たち死んでいるわけよ。そやのに、先生はね。。」

田嶋陽子「責任とって彼は死刑になったでしょ」

桂ざこば「彼も人間だよとか。。。先週も、先々週かな、凶悪犯だって人間だよって、なんか言う事が違うんよ」

田嶋陽子「ざこばさん、犯罪を阻止する為には、その人も人間だよって考えて、どうしてそういう犯罪に至ったかを研究しないと犯罪はなくならないの」

(全員発言。。。解読不能・・・)



辛坊治郎「パール判事がね、やっぱり日本は悪いって話があったんですけど、パール判事は実際何と言っていたかというと。。(紙を取り出して読む。。)もし、非戦闘員の生命・財産の無差別破壊というものがいまだに戦争において違法というならば、太平洋戦争においては、原子爆弾の使用の決定が、唯一、ナチス指導者たちの指令に近似した(似たような)ものである。本件の被告(つまり東条英機以下ですね)本件の被告の場合はナポレオンやヒットラーなどのいずれの独裁者ともいかなる点でも同一視することが出来ない。日本の憲法は完全に機能を発揮していた。つまり、それぞれの人たち、東条英機をはじめとして、いわゆる国の、ついたポジションに乗っ取ってその役割を果たしただけだったと。。いうのがパール判事の判決文です」

橋下弁護士「A級戦犯に対しては、”平和に対する罪”というのは、その当時、一切なかったんです。ただしその当時、第二次世界大戦に明確にあったルールというのは、非戦闘員、いわゆる一般市民を無差別に殺してはならないというのは、もうその当時ルールがあったんです」          

宮崎哲弥「本当に、ヒューマニティーに対する罪があるとするならば、原爆ですよ。何十万人も日本人を殺した、無差別に殺傷したアメリカだよ」

橋下弁護士「それが一番の戦争犯罪なんですよ。(田嶋さんに向い。。→)そのことについてはどうなんです?原爆投下に関しては。」

田嶋陽子「人道に関する罪に関して言った場合、人道に関する罪というのは日本では低く扱われていたと言ってるよね。人道に対する罪っていうのは、ナチスが自国民である、ユダヤ人を殺した、自国民を殺した事を裁くために出来たのが人道に対する罪で、日本の場合は、そのことでもって当時自国民であった、朝鮮人を植民地化したり、強制連行したり、従軍慰安婦にしたりした、そういうことは、だから日本では裁かなかったわけですよ。」

橋下弁護士「違います。それは違います。人道に対する罪で起訴出来なかったの。それは起訴出来なかったの。それは東京裁判の中できちんと認識してもらいたいのは、人道に対する罪では、誰も裁かれていません

田嶋陽子「だから、裁かなかったのは。。。」

橋下弁護士「違うの、裁けなかったの。出来なかったの」

辛坊治郎「植民地にしたことで罪になるのだったら、ヨーロッパの国どうなるの・・・」

田嶋陽子「アメリカも植民地持っていたし、オランダもイギリスも持っていたから、裁かなかったの」

橋下弁護士「違う!裁けなかったの」

宮崎哲弥「どうして、そういう連中が裁く権利があるんだよ。」

田嶋陽子「だから、裁かなかったの。日本はそれで救われたわけ。今でもって曖昧になっているから靖国の問題や韓国の問題が出てくるんだ」

橋下弁護士「(田嶋さんへ→)じゃ原爆投下はどうなるんですか?」

辛坊治郎「あの東京裁判で、この人等は悪いと、この人等は悪いから責任とってもらおうやということで、7人絞首刑になって死んでもらったと。それが為にですね、一般国民は悪くなかったというんで52年に割と早く独立を回復してですね、ここまでの経済発展がきたという背景はあるわけです」

橋下弁護士「だから、政治としては、正当だったかもわからないです。占領政策においては。」


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パール判事(ラダ・ビノード・パール)(1886年~1967年)
インドの法学者、裁判官。

国際連合国際法委員会委員長も務めた国際法学者であり、東京裁判の11人の判事の中でやはり唯一、国際法で学位をとった判事です。

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パールは『パール判決書』(裁判の際に提出した意見書)
 「戦争に勝ち負けは腕力の強弱であり、正義とは関係ない。」

A.J.ノック
 「現代の歴史家でさえも、つぎのように考えることができたのである。すなわち『ハル・ノートのようなものをつきつけられれば、モナコ公国やルクセンブルク大公国でさえ戦争に訴えただろう』



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☆極東国際軍事(東京)裁判☆





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トルコ軍艦遭難120年で追悼式典 串本町
トルコ軍艦遭難120年で追悼式典 串本町
2010年06月03日

日本とトルコの友好の礎になった、和歌山県串本町樫野埼沖でのトルコ軍艦「エルトゥールル号」遭難事故から今年で120年を迎えることを記念し、串本町で3日、追悼式典が営まれた。遭難海域での洋上追悼式典では両国関係者が献花し、殉職した乗組員の霊を慰めるとともに、友好の発展を祈った。

串本町と県、トルコ大使館が主催した。午前中は、遭難海域周辺を航行する海上自衛隊護衛艦「せとゆき」で洋上式典があった。三笠宮寛仁さまと長女の彬子さま、仁坂吉伸知事、田嶋勝正町長、セルメット・アタジャンル駐日トルコ特命全権大使、エ号司令官のオスマン・パシャのひ孫でフランス在住の弁護士オスマン・ケマル・テキタシュさん夫妻らが参列した。

 参列者全員で黙とうし、アタジャンル駐日トルコ特命全権大使が「殉難したトルコ海軍の将兵を追悼し、彼らからわれわれに託されたトルコと日本の友好のきずなをさらに強固なものにすべく、決意を新たにするために来た。悲痛な事故を思い出すごとにこみ上げる悲しみの一方で、両国民の間の絶えることのない友情の礎となったことに心慰められる」と話した。

武田寿一・海上自衛隊呉地方総監海将は「事件は真に痛ましく、悲劇的なものではあったが、尊い犠牲と村民の献身に始まった両国の友好はさまざまな分野に広がり、一層強固なものとなっている。御霊に報いるためにも、両国の友好親善の一端を担っていきたい」と追悼した。

 参列者は順番に、花を海に投げ入れ、最後に海上自衛隊呉地方総監部儀仗(ぎじょう)隊が空に向け、弔銃を放った。

 午後からは樫野埼の慰霊碑前で陸上追悼式典があった。

 エ号は1890年9月16日、親善のため訪れた日本から帰国途中、暴風雨のため串本町樫野埼沖で座礁。600人近い乗組員が死亡したが、地域住民らの救出活動で、69人が助かった。これを機に両国のきずなが強まり、1980年に起きたイラン・イラク戦争では、日本人がイランを脱出するためにトルコ政府が救援機を出した。


エルトゥールル号

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