気になる事を保存しておく 私の引き出し。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Posted by おきっここ
 
[スポンサー広告
フェンス美化活動を通して沖縄とアメリカの人たちが親睦を深める
フェンス美化活動を通して沖縄とアメリカの人たちが親睦を深める

 【米海兵隊普天間航空基地】 普天間基地の野嵩(のだけ)ゲートを車で出入りする人々は、一週間を通してゴミが山積みに増えていくのが分かる。
そして金曜日になると大量のゴミがフェンス沿いに散らかっているのを目にする。

 沖縄の市民グループ、海兵隊、軍属のボランティアたちが日曜日の午前中にゴミを撤去するので、毎週月曜日になるとフェンスやその周りはきれいで、本来の状態に戻っている。

 フェンス沿いをきれいにするプロジェクトは2012年12月に市民の声かけで始まり、ボランティアたちはこの作業を通して親睦を深め、地元を美化する方法として用いている。

 フェンスをきれいにする活動のプロジェクト・マネージャーを務める手登根(てどこん)ボギーさんによると、「普天間基地のフェンスラインは宜野湾市の景色の一部です。私たちは基地内の人たちを良き隣人および友人だと考えているので、ゴミを置き去りにしておく場所ではないと思っています」

 普天間基地のゲート近辺では米軍基地に対してや沖縄県内で自分たちが関与している事柄に対する見解を述べる人たちの共通の集合場所となっている。一週間の内に段ボールのプラカード、赤い粘着テープ、赤いリボンの切れ端など様々なものがゲートのフェンスに結びつけられる。

 沖縄の人たちが増加したゴミの山に気づき、基地内で暮らす人々や基地に勤務している人たちへの感謝の気持ちを表してフェンスをきれいにし始めたと、沖縄オスプレイファンクラブ会長の宮城美香さんは説明しています。

 基地内の人たちもきれいになったフェンスに気づき、そのうち海兵隊員や軍属の人たちも沖縄の人たちと一緒になってボランティア活動に参加するようになりました。

 普天間基地のブレント・クック上級曹長は、「私は単なるボランティアとして沖縄の友人たちと一緒にフェンスをきれいにしているだけです。私たちが個人として好ましい行動を行い人々を結びつけていることを示せるので、日曜日の午前中を過ごすには素晴らしい方法ですし、宜野湾市のために行っていることなんです」と話しています。

 フェンスをきれいにする人々の数は増し、プロジェクトは単なる地域支援活動ではなく、友情の輪を広げ友情を育む良い場所になっているとこの活動を通して人々と出会うことを楽しみにしているクック上級曹長は説明しています。

 継続して行われている地域への貢献を通して、沖縄の人々、海兵隊員、軍属の人たちが引き続き日本で良い関係を育んでいます。

 手登根さんは最後に、「このプロジェクトを通して日米の友好関係向上に取り組んでいます。『友達』の本当の意味は、地元住民とアメリカの人たちが一緒に街をきれいにする活動などを通して友好関係を築くことだと思います。友情は良い環境を維持する最良の方法です」と話していました。


130411-fence (2)



130411-fence2.jpg

スポンサーサイト
Posted by おきっここ
comment:2   trackback:0
[未分類
琉球大学内ゲバ誤認殺人事件
日本の新左翼の中核派革マル派は、東京教育大学生リンチ殺人事件の発生以降、血みどろの内ゲバ殺人を繰り返していた。

1974年2月6日、中核派が琉球大学の授業中の教室に乱入、左翼活動と無関係だった一般学生を革マル派メンバーと誤認して殺害した。

革マル派は「誤爆」として中核派を非難した。


1970年8月 - 中核派 による東京教育大学生リンチ殺人事件
1971年8月 - 京浜安保共闘による印旛沼事件
1971年12月~1972年2月 - 連合赤軍による山岳ベース事件
1971年12月 - 革マル派による関西大学構内内ゲバ殺人事件
1972年11月 - 革マル派による早稲田大中核派シンパ内ゲバ殺人事件
1973年9月 - 中核派による神奈川大学内ゲバ殺人事件
1974年1月 - 中核派による横浜国大内ゲバ殺人事件
1974年2月 - 中核派による琉球大学内ゲバ誤認殺人事件
1974年6月 - 中核派による法政大学構内内ゲバ殺人事件
1975年3月 - 中核派による革マル派機関紙発行責任者内ゲバ殺人事件
1975年3月 - 革マル派による中核派書記長内ゲバ殺人事件(本多延嘉氏)
1975年3月 - 中核派による川崎市女子職員内ゲバ殺人事件
1977年2月 - 革マル派による革労協書記長内ゲバ殺人事件
1977年4月 - 革労協(社青同解放派)による浦和車両放火内ゲバ殺人事件
1985年2月 - 革マル派による和光大事件
1986年1月 - 革マル派による中核派全学連委員長代行内ゲバ殺人事件
1986年9月 - 中核派による真国労大阪地本書記長内ゲバ殺人事件
1988年3月 - 中核派によるJR東日本労組高崎地本委員長内ゲバ殺人事件
1989年6月 - 革労協狭間派による革労協元幹部内ゲバ殺人事件


うどんの中の世界

Posted by おきっここ
comment:0   trackback:0
[沖縄左翼]  thema:サヨク・在日・プロ市民 - genre:政治・経済
李登輝・元台湾総統が語る―台湾が感動した安倍総理の「大切な日本の友人」発言

じつに私は十数年にわたり、日本が経済的苦境を脱するためには、インフレ目標を設定するなど大胆な金融政策を採用すべきこと、また同時に大規模な財政出動を実施することで経済を強化することの必要性を建議してきた。まさにいま「アベノミクス」と呼ばれる一連の政策によって、これらが実現しようとしている。私が安倍総理のリーダーシップに注目する理由である。

 これまで日本の指導者は隣国の中国や韓国、あるいはアメリカからの批判を恐れて、円安政策に踏み切れないでいた。日銀も「事なかれ主義」に陥っていたのである。こうした日本の状況を指して、私は2003年2月に発売された『論争・デフレを超える』(中公新書ラクレ)に収められた論文のなかで、次のように指摘した。

 「デフレはたんに経済的な問題ではなく、日本の政治指導力の問題だ。日本は米国依存と中国への精神的隷属から抜け出さなければ、いまの苦境を脱することはできない。国際社会における日本の経済的自立、精神的な自立こそがデフレ脱却の大きな鍵だ」

 一国の経済の舵取りには、強いリーダーシップが不可欠だが、安倍総理にはそれがあるようだ。また現在、安倍総理は金融政策だけでなく、大胆な国内投資の実行も掲げている。これまで日本では「国債の発行残高が高すぎる」「もうお金がないから」という理由で、大型の公共事業に対して批判的な声が強かった。しかし、安倍自民党は10年間に200兆円といわれる「国土強靭化計画」を実施しようとしているという。

もともと台湾は、非常な親日国である。東日本大震災に対する台湾から日本への義援金は200億円を超え、世界一となった。私も東日本大震災の報に接したときは、刃物で切り裂かれるような心の痛みを感じ、「自然の猛威を前にしてけっして運命だとあきらめず、元気と自信、勇気を奮い起こしてほしい」との励ましのメッセージを送った。台湾人は日本のことをなぜこうも大切に思うのか。

 今年3月13日、東北の大学生30人余りが東日本大震災時の日本支援に対して台湾に感謝を述べに来た。その学生たちを前に、私は次のような話をした。

 「日本は半世紀にわたって台湾を統治しました。この間、もっとも大きな変化は台湾が伝統的な農業社会から近代社会に進化させられたことです。日本は台湾に近代工業資本主義の経営観念を導入したのです。また新しい教育制度が導入され、近代的な国民意識が培われました。やがて台湾人は自らの地位が日本人に比べて低いことに気付きます。ここに『台湾意識』が芽生えました。『台湾人の台湾』という考えが生まれ、これが国民党に対抗する力となったのです」

 台湾には「犬が去って、豚が来た」という言い方がある。犬は戦前に台湾を統治していた日本人、豚は大陸から来た中国人を意味する。渋谷に忠犬ハチ公の銅像があるだろう。犬は吠えてうるさいが番犬として役に立つ。これに対し、豚は食い散らかすだけで何もしない。大陸から来た中国人に比べれば、日本人のほうがはるかにましだったという、台湾人の考えを表した言い方である。

 また、台湾人が好んで用いる言葉に「日本精神(リップンチェンシン)」というものがある。これは日本統治時代に台湾人が学び、ある意味で純粋培養されたもので、「勇気」「誠実」「勤勉」「奉公」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった精神を指す言葉である。じつはこの言葉が台湾に広まったのは戦後のことで、当初は大陸から来た国民党の指導者が自分たちには持ち合わせていないものとして、台湾人の気質を示したものだ。台湾に浸透したこういう「日本精神」があったからこそ、戦後の中国文化に台湾は完全に呑み込まれることはなかったといえるし、現在の近代社会が確立されたともいえる。

日本との関係を思うとき、私にはいまだに了解できないことがある。このことについて少し述べたい。

 99年9月21日、台湾大地震が起こったのは台湾総統の任期があと8カ月で終わるときであった。各国から救助隊がやってきたが、真っ先に駆けつけてくれたのが日本であった。人数も多かった。またありがたいことに小池百合子代議士は、仮設住宅の提供を申し出てくれた。さらに、当時曽野綾子氏が会長を務めていた日本財団は3億円を寄付してくれた。授与式には曽野氏がわざわざ訪台され、私と会見した。その際に私は曽野氏に対して、もし将来日本で何か起こったら、真っ先に駆けつけるのは台湾の救助隊であると約束した。

 しかし、先の東日本大震災ではその約束が果たせなかった。震災発生直後、日本の対台湾窓口である交流協会を通じてすぐに救助隊の派遣を申し出たのだが、なかなか話がまとまらない。時間を無駄にはしたくないと考えたわれわれは、やむなく山梨県甲府市のNPO(非営利団体)と話をつけて、救助隊を自力で被災地に向かわせることにした。

 台湾からの救助隊の第一陣が成田空港に到着したのは3月13日。すでに中国や韓国の救助隊は到着していた。さらに日本に到着してからも、「台湾の救助隊を迎え入れる準備ができない」と外務省にいわれてしまう始末であった。

 なぜ、当時の日本政府は台湾の救助隊を受け入れることを躊躇したのか。「台湾は中国の一部」とする中国共産党の意向を気にしたとされる。日本の台湾に対する気持ちはその程度のものだったのかと残念に思った。日本に何かあれば、台湾の救助隊がいちばんに駆けつけるという曽野氏との約束を果たせなかったことは、私にとって生涯の痛恨事である。

 また2001年、持病の心臓病の治療のために訪日しようとした際、私を入国させることで中国を怒らせることを恐れた当時の外相や外務省の反対で、なかなかビザが下りないということもあった。「義を見てせざるは勇なきなり」という武士道の精神を表す言葉がある。武士道は日本人にとって最高の道徳のはずである。このとき私は、日本という国がほんとうにおかしくなっていると感じた。

 震災直後、時の首相であった菅直人氏はヘリコプターに乗り、上空から被災地を見て回ったものの、それだけで終わってしまったという。本来であれば菅元総理は、自衛隊の幕僚長と内閣の官房長官を従え、ヘリコプターから降りて被災地を一つ一つ見回り、被災者を慰問し、地方自治体の指導者から救済措置と財政負担を聞き取ることが必要であった。国民が苦しんでいるのに、菅元総理はどのような顔をしてヘリコプターに乗っていたのか。彼はしょせん民主党の指導者であって、国家の指導者たる資格はなかったのである。

台湾が感動した安倍総理の友人発言

 これまで日本政府は中国の意向を気にして、台湾への配慮を怠ることが多かったが、こうした流れを一気に変えたのが安倍総理である。日本政府が今年3月11日に主催した東日本大震災2周年追悼式。そこには各国の外交使節と同様に、指名献花する台湾代表の姿があった。多額の義援金を寄付したにもかかわらず、昨年の追悼式で台湾を指名献花から外した非礼に関しては、日本国内でも多くの批判があったと聞く。今年の追悼式で安倍総理はそれを是正したことになる。

 また安倍総理は、交流サイト「フェイスブック」上で台湾の支援に言及し、「大切な日本の友人」と表現した。これには多くの台湾人が感動した。安倍総理は、歴代の日本の政治指導者がみせた“中国さまさま”の意識にとらわれることなく、激変する国際社会への対応を学んでいるようにみえる。

 憲法改正や集団的自衛権の行使、国家安全保障会議の設置など、戦後日本の積年の課題に手を付けようとすれば、まず7月の参院選に自民党が勝つことが前提となる。そのうえで安定政権をつくることが重要だ。そのために安倍総理は、自民党の古参議員や若手、新人議員、また野党やマスメディアに対して、辞を低くして、自分のめざすところを説明していく姿勢が求められる。いま安倍総理には国民の高い支持が寄せられているが、そのことには絶えず感謝の意を表すべきだ。さらに憲法改正ともなれば、いまのうちからアメリカに説明しておくことも必要であろう。

 結局、政治は忍耐である。耐え忍ぶ忍耐力をもたないと、ほんとうの勇気は出てこない。これこそ、政治の指導者が理想とすべき真の武士道精神ではなかろうか。

 ふりつもるみ雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき人もかくあれ

 昭和天皇の御製である。安倍総理もよくご存じだと思う。昭和天皇もまた武士道をよく体現されたお方であった。そうでなければ、あのマッカーサーをたちまち心服させることなどできなかったであろう。この昭和天皇の御製をもって、私から安倍総理へのエールとさせていただきたい。
http://shuchi.php.co.jp/article/1413
http://shuchi.php.co.jp/article/1412


431823_362663767172425_512149732_n.jpg
Posted by おきっここ
comment:0   trackback:0
[未分類
沖縄の人が性犯罪を起こすのはニュースにならないが、米軍関係者が性犯罪を起こすとニュースになる
米軍人による性犯罪報道に意見する   友寄 永三
投稿 · 2012年11月  八重山日報

 沖縄県警が発表した資料によると沖縄県民による性犯罪は、今年9月だけで21件起きているそうです、内訳は被害者の内7人が高校生、14人が中学生です。この資料はあくまでも未成年者のみを対象にした資料なので成年者を含めると数はもっと増えると思われます。

 しかし、未成年者が被害者でもこれだけ多くの性犯罪があるのにそれの報道はほとんどなく(新聞の隅に小さく載るだけ)、米軍人の性犯罪に対しては、新聞、ラジオ、テレビ、議会あらゆる場所で抗議の声が上がるのは何故でしょうか?

 一般的に多くの人が米軍人の性犯罪があまりにも多いから仕方ない事だと考えているのかもしれません。ところが2009年からの3年間で米軍人による性犯罪は1件も起きていないのです。意外に思われると思いますが、過去16年さかのぼっても年平均1件の犯罪率なのです。

 つまり、反米思想の沖縄マスコミの印象操作によって米軍人の性犯罪が多いと思わされているのです。米軍人のトラブルはすぐにニュースになるのですが、よく調べるとそうでなかったというケースが殆どです。ちゃんと調べがついてなくとも米軍人の事件ならすぐにニュースで流してもいいと言わんばかりです。

 今年10月に起きた女性に対する米軍人による暴行事件で沖縄中の報道機関が一斉に声を上げ、新聞は何日も1面トップで報道し続け、テレビは何度も放送し、ほとんどの議会で抗議決議文を採択する姿勢は異常にも見えました。全体主義の島沖縄を印象づけた感さえあります。このように書くと、その事件を軽く考えていると思われるかもしれませんが、私が主張したいのは、先に挙げた沖縄県民の起こした性犯罪の報道と比べてどうかという事です。


どうして犯人が沖縄県民ならマスコミは目をつぶるのでしょうか?沖縄県民の犯罪は許せて、米軍人の犯罪は許せないというのでしょうか?それこそ沖縄のマスコミが常に批判している差別なのではないでしょうか?加害者が誰かによって報道に差が出るのは、報道姿勢としておかしいと言いたいのです。

 米軍人の4年に1度の事件をあれほど報道するなら、沖縄県民の犯罪によって、月に21件それも未成年者が性犯罪に巻き込まれている事をもっと報道しなければならないと思うのは私だけではないと思います。

 ある人が言いました「犬は人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかめばニュースになる」と沖縄の人が性犯罪を起こすのはニュースにならないが、(よくあるから)米軍関係者が性犯罪を起こすとニュースになる、(ほとんどないから)と揶揄されてもしょうがない気がします。沖縄のマスコミにはいいかげんに反米親中の偏向報道はやめて、県民に公正公平な真実の報道をしてほしいものです。マスコミのイメージ操作により沖縄県民を間違ったほうへミスリードしてしまいます。


 アメリカには、大統領選の討論会や政策などで大統領候補者が言った言葉をチェックするファクトチェッカーという機関があるそうですが、本来ならマスコミにはそういう間違いを正す役割を果たして頂きたいものだと思います。



Posted by おきっここ
comment:0   trackback:0
[米軍基地]  thema:気になるニュース - genre:ニュース
中国の古本屋で見つけた尖閣の地図
「尖閣と書いてあるから、この地図は日本人が高く買う」とにんまり 中国庶民は尖閣よりお金?

2013.2.28 産経

■ 静岡大学教授 楊海英氏

 中国人たちが春節を祝っている間に内モンゴル自治区や北京市郊外を歩いてみた。民間の人々が日中関係をどのように理解しているのかについても、少し調べてみた。北京や広州、それに西安などの都市部では昨夏に過激な反日デモが繰り広げられたことは既に日本でも詳しく報道されてきたが、農山村に住む人たちが日本をどのように見ているのか。庶民の文化のなかの日本観や領土観が知りたかったからである。

■ 冷めたモンゴル人

 内モンゴル自治区西部の草原の奥地にある人口約2万人の小さな町でも反日の嵐が沸き起こった、と知人は語る。日本車は壊されたり、ガソリンスタンドでは給油を拒否されたりしたという。新しく買った日本車も運輸機関に登録を断られたとも聞いた。

 しかし、このような反日運動を主導したのはいずれも中国人すなわち漢民族で、モンゴル人たちは冷めた目で眺めていたという。モンゴル人たちは、今の中国による抑圧と略奪的な資源開発に強い不満を抱いているので、日本に敵意を抱く人はほとんどいない。

 日本車を持っている人たちにも「愛車の保護策」があった。「釣魚島(尖閣諸島の中国名)を守ろう」とのステッカーを貼って走ることだ。「車は日本車でも、愛国主義者だ」との姿勢を示して自分の財産を守っている。


 旧暦の大みそかの夜は爆竹の爆音が夜通し鳴り響いた。もっとも大きな音が出る銘柄は「東京大爆炸(大爆撃)」だという。カメラに収めようと探しもとめたが、なかなか見つからない。「人気が高くて、すぐに売り切れた」と、爆竹屋は自慢げに語る。

■ 北京で見つけた地図

 帰りに北京市内の古本屋街に立ち寄った。なじみの店で1958年に出版された「世界地図集」という地図帳を見つけた。めくってみたら、なんと「琉球群島」の範囲内に「魚釣島」と「尖閣群島」と記されているではないか。中国が今主張している「釣魚島」との表現はどこにも見当たらないし、禁句になっている尖閣群島が鮮明に印刷してある。



                  1958年に出版された中国の「世界地図集」



         古い中国の世界地図・尖閣





 「あなたには譲らない。日本人に売るよ。『釣魚島』ではなく、『魚釣島』と『尖閣群島』と書いてあるから、日本人が高く買ってくれるはずだよ。それに政府は今、この地図を回収して回っているのだ」と、店の主人がうれしそうに話す。

 交渉に交渉を重ねてやっと地図帳を手に入れた。中国でもっとも権威ある国営の「地図出版社」が公刊した、豪華な本である。一党独裁のもとで、共産党中央宣伝部の厳しい検閲を経たものでなければ公開できない時代の産物である。「社会主義の先輩、ソ連の先進的な製図の技術を学び、中等以上の学識ある人たちが世界情勢を正しく認識するために編纂(へんさん)した」と、出版社の編集部はその前書きで地図出版の目的について明記している。


 中国人たちは昨年夏に「内モンゴルの草原を失っても釣魚島を守る!」という横断幕を掲げて行進していた。その一方で、「古くからのわが国の固有の領土」との主張の根拠を覆す資料を高く日本人に売りつけようとする庶民がいるのも現実である。中国特有の官製ナショナリズムと庶民文化との乖離(かいり)の実態を表す象徴的な事実である。

この地図については、日本側も把握しており、外務省のサイト にも掲載されている。


【プロフィル】楊海英

 よう・かいえい 静岡大学教授。中国・内モンゴル自治区出身。北京第二外語学院大学アジア・アフリカ語学科(日本語)卒。日本に留学後、国立総合研究大学院大学で博士課程修了。2011年、『墓標なき草原-内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』で「第14回司馬遼太郎賞」受賞。2000年に日本に帰化。日本名・大野旭(おおの・あきら)。48歳。
Posted by おきっここ
comment:0   trackback:0
[尖閣諸島]  thema:尖閣諸島問題 - genre:政治・経済
| HOME | next
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。